和歌山地方裁判所 昭和41年(わ)91号 判決 1966年7月08日
被告人 郡山守
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、
被告人は昭和四〇年六月三〇日午後八時五〇分ごろ、友人の高森彦行とともに、和歌山市中之島貝柄町三丁目四三九番地先国鉄紀勢本線和歌山駅東二番踏切を通行中、見知らぬ中村信彦(当時二九才)とすれ違つた際、同人が右高森にぶつかつたことから口論となり、右中村が刺身包丁を持つて来たうえ、同所付近で被告人らに突きかかるに及んで、右高森と共同して、道端のほうきで殴りかかつてこれに反撃したが、高森が中村の手から右包丁を叩き落すや、被告人がとつさにこれを拾い、殺意をもつて中村の左胸下部を突き刺し、心臓、肝臓等を切破して背部に至る貫通刺創を負わせ、よつて同人をして、そのころ同所東方約六〇メートルの路上において、右刺創に基く失血により死亡させ、殺害したものである。
というのである。
よつて判断するに、被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官に対する供述調書および司法警察員に対する供述調書(二通)証人高森彦行、同児玉信市の当公判廷における各供述、高森彦行の検察官に対する供述調書および同人の司法警察員に対する昭和四〇年九月六日付、同月九日付(二通)各供述調書、児玉信市の検察官および司法警察員に対する各供述調書、中村シナエの検察官および司法警察員に対する各供述調書、脇金治郎の司法巡査に対する供述調書、司法警察員(二通)、司法巡査各作成の各実況見分調書、永野耐造作成の鑑定書、和歌山県警察本部鑑識課長作成の「鑑定結果の回答について」と題する書面、押収してある刺身包丁(昭和四一年押第二七号の一)、ほうき三本(同号の二)の各証拠を総合すると、
1、被告人は元暴力団の組員であつたが、友人の菅谷組組員高森彦行(当時二四才)とともに、昭和四〇年六月三〇日午後八時四〇分ごろ、食料品等の買物を終え、帰宅のため和歌山市中之島貝柄町三丁目四三九番地国鉄紀勢本線和歌山駅東二番踏切を北へ通過しようとして、同踏切の中程にさしかかり、前方からきた土工の中村信彦(当時二九才)、同児玉信市(当時二六才)の二人連れとすれ違つた際、当時軽度の酩酊状態にあつた中村がわざと高森の右肩に、次いで被告人の右肩に突き当つて通り過ぎようとし、高森が振り返つて中村と視線が合い、中村が「なんど文句あんのかえ」とからみついたことから口論となり、中村が高森の胸倉を掴んで同踏切南側の中之島薬局北側横路上に引張つて行つたこと
2、中村と高森はその場で二言、三言いいあい、なおも口論しながら東の方へ右線路沿いに約四七メートル先の三叉路角中村シナエ方前路上に至つたこと
3、そこで児玉の制止にも拘らず、さらに高森、中村間に口論が続き、高森が「仁義を受けんのに偉そうな口たたく」と言つたことに激昂した中村が、いきなり高森らに「待つとれ」と言うや否や右三叉路南へ走り去つたこと
4、その間、被告人は右口論に対してはこれに加わらず、むしろ児玉とともに消極的態度に終始したこと
5、中村が走り去つた後、その場で被告人は児玉に「あいつ何処へ行つたんや」と聞いたところ、同人が「あいつも酔つてることやし、背中を見せるということは逃げたんやろう、今度会うたらあんばい言うとくから」と答えたので、さらに中村がやくざかどうか尋ねたうえ、堅気であることを聞き知り、高森、児玉に「帰ろう」とうながして帰るべく右中之島薬局北側横路上付近までもどつて来たこと
6、中村は、右中村シナエ方前路上から走り去つた後、同市中之島貝柄町四四九番地の義兄脇金治郎方へかけつけ、同人宅で着ていた着物を脱ぎ捨て、同人所有の刃渡り二三・二センチメートルの刺身包丁一丁(昭和四一年押第二七号の一)を取るや脱兎の如く表へ飛び出していること
7、そして被告人は先刻右三叉路の方へ行く際に踏切近くの電柱のそばに置いておいた買物包みを取り上げた時、背後即ち東の方に「待て」「信市どけ、どけ」等の怒号を聞いたので振り返つたところ、東方約二〇メートルの地点に中村が腹巻き、パンツのみの裸、素足で、被告人らの方へ疾走して来る姿を目撃したこと
8、この時、被告人は高森が「あいつ刃物を持つてるぞ」と叫んでそばの線路沿いの柵に立てかけてあつた長さ約一・三メートルのほうきを取つて応戦の態度に出るのを目撃していること
9、その際、被告人も一旦ゴミ箱から螢光灯の球を取り出したがすぐに捨て去つていること
10、被告人が右球を捨てた時には、すでに中村は被告人の目前に迫つており、同人は右包丁を、刃先を前に出して握り、最初に被告人めがけて突いてきたこと
11、これを見た高森が、手にした二本のほうきでもつて、中村に殴りかかり、中村の被告人に対する攻撃を妨害し阻止したこと
12、すると、中村は今度は高森に突きかかつていつたこと
13、その間に、被告人は高森と同様、柵に立てかけてあつたほうき一本(昭和四一年押第二七号の二の内の一本)をとつたこと
14、そして被告人は高森の右側に西向きに並び、これに対し中村は東向きに位置して対立し、中村は被告人と高森に対し交互に手にした包丁で数回にわたり、無茶苦茶に突きかかり、その都度、被告人らはほうきを左右に振つて中村の腕等を叩いて防戦していたこと
15、そのうちに、被告人、高森がほうきを左右に振りまわすのでその勢いに中村はやや押され気味に後退したこと
16、その矢先に、高森の振り回わしていたほうきが中村の手に当り、その手から包丁が約二メートルの間隔のあつた中村と被告人、高森との間のほぼ中間あたりに柄を被告人の方に、刃先を中村の方に向けて落ちたこと
17、包丁を落した瞬間、中村は腰をかがめ、上体を折るような姿勢で、右手は振り上げるようにし、左手を下にのばして包丁を拾おうとしたが、間一髪被告人の方が早く包丁を手にしたこと
18、被告人は包丁を手にした瞬間、ほぼその姿勢のままで、同じように包丁を拾おうとして腰をかがませてきていた中村に対し包丁を下からやや斜め上に向けて突き刺したこと
19、その結果、中村の左胸下部から、心臓、肝臓等を切破して背部に至る貫通刺創を負わせたので、中村は同所から東方約四七メートル先の路上まで駆けて行つたが、右刺創に基づく失血のためその場に倒れ、死亡したこと
20、そして、右7から19の刺創を負わせるに至るまでの各事実が約一分ないし二分という極めて短時聞のうちに展開されたこと
等の各外形的事実を一応認めることができる。
そこで、本件につき正当防衛の要件の存否を判断する。
第一に、「急迫不正の侵害」の存否を判断するに、中村が被告人と高森に対し、刃渡り二三・二センチメートルの鋭利な刺身包丁を持つて突きかかつた所為は、被告人の当公判廷における(中村の被告人に対する攻撃につき、刃物が)「目の前を魚が泳ぐ様に往き来しました。」そして(包丁の刃先が数回にわたり被告人の)「目の高さから一〇センチ位下の近くまで届きました。」(生命の)「危険を感じました。」「その時は気付きませんでしたが左の手を切られていたのです。」との供述、証人高森彦行の当公判廷における(中村で証人に攻撃してきたのは)「一五、六回です。」(その時は)「恐しいというのか、必死といつた気持です。」との供述等と前示認定の各事実とを併せ考えると、前記のごとき中村の被告人らに対する攻撃の経緯、その攻撃に用いた兇器の種類、攻撃の態様からみて明らかに中村の被告人と高森に対する殺意を窺えるもので、まさしくこれは被告人と高森の各生命に対する強度の急迫不正の侵害に当ると解し得る。
ところで、右急迫不正の侵害が、前示認定事実16の如く、中村の手から包丁が落ちた後においても、なお継続したと言い得るか否かについて考えるに、永野耐造作成の鑑定書、司法警察員作成の「中村信彦の解剖写真撮影について」と題する書面、中川美代子、中村信一の司法警察員に対する各供述調書(中川美代子については昭和四〇年七月七日付の分)、脇金治郎の司法巡査に対する供述調書を総合すると、中村は身長は一六四センチメートルで決して大きくはないが、左下肢大腿部にバラの花の入墨を彫つているような者で、気が短かく特に酒を飲んでおると一寸したことでも腹を立て、人とけんかする性格の持主であること、本件当日脇方へ本件刺身包丁を取りに行つた際も、義兄たる脇金治郎の言葉に耳をかすことなく着ていた着物を脱ぎ去り、腹巻、パンツ姿になるや、包丁を手にして顔面蒼白の状態で脇方を飛び出していることが認められ、この事実からして、当時中村がいかに激怒、興奮していたか容易に推測し得るのであり、これと前記認定による中村が包丁を落すまでの、被告人と高森に対する攻撃意思、攻撃態様等から考えると、中村が包丁を落した瞬間、直ちに前示認定事実17のとおり、腰をかがめてこれを拾おうとしており、一瞬早く被告人の方が拾つたとしても、なおこの時点においてはこの事態を遷延すれば、ただちに中村において刺身包丁を奪い返して再び被告人らに対し前と同じような攻撃に出ることの十分予想される情況であつたことが認められるのであつて、このような状況下にあつては、なお被告人らの生命に対する急迫不正の侵害は継続していたと認めるのが相当である。
第二に「防衛の意思」をもつて本件所為に出たものかどうかを考える。
被告人は、当公判廷において「相手(中村)が包丁を落し、又拾いかけたのです。丁度相手の前に高森が居ましたので若し相手が拾うと高森がやられると思い私もとつさに拾おうとしたのです」と述べ、ただ高森の生命に対する急迫不正の侵害に対してのみ防衛しようとしたように述べるが、一方、「無我夢中で相手を突いた」とも述べ、これに加えて、被告人の検察官、司法警察員(昭和四一年三月九日付の分)に対する各供述調書によれば、「その瞬間本能的に攻撃する動作として刺した」旨の記載が認められるのであつて、これを要するに本件のようなとつさになされた所為は、いうなれば自己保存の本能に基づく衝動的なものであつて特別の事情が認められない限り、自己の生命をも防衛する意思に出たものとみるのが相当であり、このことは前示認定事実の如く中村の被告人と高森に対する攻撃の経緯と態様と照らして考えてみても容易に首肯し得るものである。
なお被告人は司法警察員(昭和四一年三月九日付の分)に対し「その頃(前示認定事実13、14の行動をとつた頃)私は相手が刃物を持つていることであり、相手をゆわすか、相手にやられるかわからんが、ゆくところまで行く決心がついていました」と供述していて、一見被告人には防衛の意思が当初からなかつたように窺えるが、一方同じく「中村が手に何か持つて走つてくる姿が見えたのです。一瞬私は逃げようか、どうしようかとまよつたのです」「高森が応戦の態度に出たので、私も放つて逃げる訳にゆかず、中村に対抗する決心をした」旨の供述があつて、この供述は被告人の防戦のための意思の表明とみるべきであり、さらに前示認定各事実から、帰途についていた被告人の予期に反して中村が攻撃してきたこと、しかも被告人がこれまでの経緯において中村を刺激するような態度に出ることなく、むしろ中村、高森間の口論を制止する態度に出ていて何ら落度のないのに走つてくるや否や、いきなり被告人に突きかかつたものであることが推測されるのであり、これと右の攻撃意思を有していたような供述の内容が被告人らと中村との攻防が継続している最中に決心されたものとして表明されている事実を彼此考察すると、被告人の右供述は、攻撃意思の表明と解するよりも、むしろ中村の当初からの余りにも身勝手な振舞いに対する憤りを表現したに過ぎないと考えるのが相当であつて、そうであれば防衛の意思はこの憤りと必ずしも併存し得ないものではないから、右の供述だけでは防衛の意思の存在を否定する理由とはなし得ない。
第三に、被告人の本件所為が「已むを得ざるに出た」ものかどうかについて考えるに、前示認定事実のとおり、中村の被告人と高森に対する攻撃はその兇器の種類、攻撃の態様等からして、被告人と高森の各生命に対する危険を惹起する可能性が高く、しかも中村は包丁を落すやこれを拾つて攻撃を続行しようとして腰をかがめたが、一瞬早く被告人がこれを手にしたこと、これが一、二分の短時間内における数々の事態のうちの一瞬時のことであること、当時被告人は中村の攻撃に対する防衛に無我夢中であつたというような非常に急迫した情況を考えると、このような下で被告人が自己及び高森の生命を救うため何等かの防衛行為を為すべき必要は十分窺えるのである。
そして、被告人は、前示認定事実のとおり、中村より一瞬早く包丁を拾つたが、その時は中村も左手をのばして包丁を拾おうとして腰をかがめ上体を折るような姿勢で、丁度被告人におおいかぶさるような情況であつたのであり、被告人が半ば本能的に手にした刺身包丁を突き出したため前示認定事実19のような結果が生じたのであるが、被告人が中村の胸を狙つて突き出したものというよりも、むしろ被告人が当公判廷において述べたように、中村の方に向けて無我夢中で突き出したのが、丁度同人が右のような腰をかがめて上体を折るようにして働く力と相まつて、その結果前掲鑑定書にあるが如き、刺入口右創縁部に孤状を呈する楕円形に類する挫創が伴つた刺創を負わせることになつたと考えるのが相当であり、当時の寸秒を争う急迫性を考えれば、右の如き被告人の所為は、まことに已むを得ざるに出た行為と言わざるを得ないのである。
結局以上の認定事実によれば、被告人の所為は中村の自己及び高森に対する急迫不正の侵害に対し、これを防衛するため已むを得ずなした相当の行為であつて、刑法三六条一項の正当防衛に該当し罪とならないから刑事訴訟法三三六条前段を適用し被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 五味逸郎 沢田脩 安倍晴彦)